自分を大事にするって決めた!

41歳で母始めまして・・息子は6歳!!日々の気付きを記す

息子の障害を知ったとき

未来の自分のために書こう。

忘れっぽい私のために、

感じたことを、残しておきたくなった。

 

 

 

人生で一番衝撃を受けた日のこと。

それは、突然やってきた。

息子の1歳前の検診でのこと。

 

「麻痺があるね~」という

医師からの突然の宣告。

「あ、ここ怪我しましたね。」

的な軽い言葉だった。

 

 

息子に障害があることを初めてそこで知らされた。

息子は、先天性の“脳性麻痺”だったのだ。

 

 

とにかく、とにかく、とにかく落ち込んだ。

しばらく泣いて暮らした。

眠れず食べれずの日々・・

どん底まで落ち込んだ。

 

 

そんな中でも何かできることがあるはず

母である私が何があってもよくしてみせると

じたばたあがいた。

 

 

そして、しばらく自分なりにあがいた結果・・

あ~自分は何もできないと悟った。

 

 

私も誰も人類は息子の障害をなおすことはできない。

人は無力だ、自分には何の力もない

認めたくないと思う存分じたばたした末に、そう悟って

 

 

私は、白旗を揚げた。

「私には、何の力もない。」と。

 

 

その先には、もう絶望しかない・・

そう思っていた

 

・・のに!!!!

 

 

自分の無力を認めたとたん

不思議なことに

そこに流れる大いなる力、

その存在が確かにあることを感じた。

私たちは大いなる自然の力の中で生かされているのだと。

 

 

自分で何でもやっている気になっているけど

自分では髪の毛1本も創り出せない。

心臓の動かし方、止め方も分からないし、コントロールできない。

 

 

母の私が何でもしてやっている気になっているけど

乳の吸い方も

寝返りの仕方も

ずり這いの仕方も

やり方を教えたのではない。

教えずとも、時期が来れば

赤ちゃんはできるようになっていく。

 

 

私たちは自然界の営みの一部として

大きな力の中で生かされている。

 

 

その力の前で私たちは絶対服従であるしか術がないし

無力だ

 

 

「何にも力がない」と白旗を揚げた私は

抵抗なく素直にそれを認められた。

いや、じたばたした末に認めざるを得なかった。

 

 

 

そうすると、意外なことに

そこには安心感と静けさがあった。

 

 

あ~、この力に

任せていればいいんだ。

 

 

 

変わらない日常ではあったが、

それまで波たちまくりの心に

なぜか感じた

いや、でも確かに感じた安心感と静寂。

 

 

 

うまく言葉にではできないけれど、

大丈夫だとそう思えた。

 

 

 

大いなる力にお願いして任せる

それしかないし

それがあれば大丈夫だと。

 

 

 

人は助けてくれないし

自分には力がない

こんな崖っぷちに追い込まれる形で

たどり着いた

この時の不思議な感覚は

絶対に忘れたくない。

 

 

 

この大いなる存在の

素晴らしさを思い

身を任せようとお願いした。

その日の夜に、息子は40度近くの高熱を出した・・

 

 

 

この時に、歩けるのはいつになるのかとか

話せるようになるのかとか

知能はどうなのかとか

脳のダメージの影響がこれからどう出るかは

何とも言えないと医師から告げられた息子・・

 

 

6歳になった今現在はというと、

障害児の受け入れもしてくれている

素晴らしい幼稚園との出会いもあり

幼稚園年長生活を

マイベースに楽しんでいる模様。

 

 

右手右足麻痺&

自閉傾向ありとの診断で

療育を受けながら

ゆっくりペースで成長している。

 

 

大いなる力に委ねてお願いしたその日から

その力の素晴らしさを感じながら

息子(とついでに私も)を育てて頂いている。

 

 

素晴らしさを感じながらも、

揺らいだり、ずれたり、忘れたり・・

日常の中では、この力のことはかき消されてしまいがち。

 

 

でも、

楽しく共に成長させてもらえているこの日々は

本当に宝だな

と思う。

 

 

大いなる力の前で

自分の無力を認めた時に

確かに感じた安心感と大丈夫という感覚

 

 

何もできないを認めたら

何でもどうにでもなる!大丈夫!の感覚がきた!

このパラドックスな感じが

おもしろいなと思う。

 

 

 

 

これは、絶対に忘れたくない体験。

ただ、感覚として受け取ったあれこれは

言葉にするのがちょっと難しいな(^_^;)